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桃尻文庫

~スパンキングやお仕置きに関する創作ブログ~

『実際にされたお仕置き(ゲンコツとビンタ)』について語ってみる

皆様、こんばんは。 季節柄ゆえか色々な事に不思議なくらい熱中できなくなり、めっきり更新頻度が下がってしまったしおごはんです。

さて、今日はいつもの妄想&妄想な内容から少し趣向を変えまして、私が小さい頃に実際にされていた、ゲンコツとビンタのお仕置きについて語ってみようと思います。


・幼い頃の憧れの対象は「お尻」だけだった
今でこそ「お仕置きに憧れている」とはいえ、あくまでもそれは「お尻叩き願望をベースにした妄想から派生した、現在の嗜好」だったりします。

実は幼い頃の私は、お尻ペンペンという行為のみが大好き、という状態。 その憧れを秘めたまま成長し、お尻叩きシーンを目当てに様々な小説や漫画を読み漁った結果として、徐々にお縛りやお浣腸など、他の分野が開拓されていった感覚なのです。

一緒に取り込んでいくうちに、次第にお尻ペンペンと他のお仕置きの共通項が見えはじめ、自分はお尻を叩く行為そのものだけでなく、そこにある繋がりやシチュエーションも含めて大好きだったのだと、あらためて捉えなおした結果、守備範囲がぐーんと広がったのですね。

そんなわけですので、多種多様なお仕置き嗜好に目覚める前に受けてしまったリアルなお仕置きは、残念ながらお尻叩きが全く含まれていない事もあって、あまり嬉しくないモノとして終わってしまっています。(いえ、普通は嬉しくないモノらしいですけども……)

それでは、実際に受けた時の話に入りましょう。


・ゲンコツ
記憶に残る限り一番古いお仕置き体験は、祖父母や叔父、母親からのゲンコツでした。 保育園の保母さんからも、頭ゴッチンするよ、などと脅された記憶が薄っすらとあります。

保母さんに叩かれた記憶はないので、おそらく実際にはされなかったのだと思いますが、脅し文句として出てくるくらいには、一般的だったのでしょうね。

さて、家族からのゲンコツは、いずれも、何回か注意をする→聞かない→ごっちん→大泣きというパターンで、じっくりとお説教をした後に罰として与えられる、というような様式めいた流れはありませんでした。

さすがに未就学児~小学生低学年の記憶は断片的なので、当時の様子を映像で事細かに思い返す事はできませんが、あまり長々とお説教をするような雰囲気の家庭ではなかったですし、このブログで書いているような手の込んだお仕置きよりは、突発的な体罰みたいな感じでしたね。

そんなわけで強く印象に残っているのは、いわゆるお仕置きの雰囲気よりも、脳天のキーンとした痛みです。 うちの家族はゲンコツが上手く(?)、中指をしっかりと尖らせて落としてきたので、それはもうかなり後を引く感じでした。 思い出せる限りでは、毎回、多かれ少なかれ泣いていたはずです。

というように、その時の痛さや怖さはよーく覚えているのですが、不思議なことに、なんで叩かれたかという心当たりは、あまり残っていないのですよね。 本当に数えられるほど、電車の中で騒いでしまった時に祖父からというのと、テーブルの上に乗った時に祖母から、くらい。

人によってゲンコツの痛みが違うことにも勘付いていたくらいですから、それなりに、ごっちんごっちんされていたはずなんですけども、はて、自分はなにをやってゲンコツを落とされていたのでしょう……?

こんな具合にゲンコツに関しては、特に嫌な記憶にもならず、「あー懐かしいなぁ、イヤだったけど」くらいの感じなんですよね。 まだ記憶が曖昧な小さい頃にされたお仕置きだったからかもしれませんが。

そこにいくと、次のビンタは少々毛色が違ってきます。


・ビンタ
これは小学校に上がった頃に母親からされるようになりました。 祖父母や叔父はしなかったというか、その頃にはもう手を上げなくなっていたのですが、それに反比例するようにして、母親からのビンタは増えました。

最初は小学二年生の朝。 しばらく、学校に行きたくないとぐずる日が続いたある日、母親が玄関先で声を低くして、こんな話をしました。

「お母さんの会社の人は、子供がグズった時に殴るんだって。 そうすると、その子は泣きながら学校に行くんだって」

冷たい声でこんな事を言われ、その意味を理解する前に、初めての痛みと音の激しさに、ただただ泣きわめいた記憶があります。 そして、同時に思い浮かぶのは、しがみついた玄関先の柱の感触と、うざったそうに見下ろす母親、もう庇ってやれないと言って、申し訳なさそうに横に立つ祖母の姿。

まあ、それから、なんの感慨もなくなるほどに、バシバシと叩かれる日々が始まったわけですけれども、思えば、自分がお仕置きシーンを書く時に音に関する描写が多いのは、この時の記憶が原因かもしれません。 痛みの表現や子供の無力さを強調したがるのも、多分、この体験からですね。

腫れて突っ張った頬の感触、涙の跡のヒリつき、寄る辺のない恐怖、子供心の孤独、築年数の古い木造住宅の空気の味と匂い。 こうして、よくよく考えると、お仕置き創作に引っ張ってこられる要素が、かなり多くある気がします。

しかし、今考えても、あれはベターとは言い難い行為なのではあるまいか、と思ったり。 母親の方も何かと忙しい職種でしたし、ストレスも溜まっていたのでしょうけれど、その後の学校での扱いを鑑みても「顔はやめな、ボディにしな」とか言いたくなるわけですよ。


・理想と現実のギャップは大きい
このように現実の我が家のお仕置きは、アフターに優しくされるとか、諭されて間違いに気づくとか、情の交流的なシーンは皆無。 残念ながら痛みを与える行為があるだけで、あまり楽しいモノとはいえなかったのでした。

冷静に考えれば、寒空のもと玄関先で激しく叩かれるというのは、お仕置きフェチ的には美味しいシチュエーションなのですけどね。 どういうわけだが、自分事だとさっぱり萌えないのが不思議だったりします。 この一撃がほっぺたじゃなくてお尻になるだけで、全然違うかもしれないのに。


試しに軽く妄想するならば――

台所と繋がった玄関のタタキに、うつ伏せにさせられる。 大人が腰を下ろして靴を履くのに丁度よい高さの段差は、まだ幼い体にとって、まるで誂えたようにぴったりとお仕置きの姿勢をキープさせる役割を果たした。

外に向かってむき出しにされたお尻に、冬の冷気が容赦なく吹きつける。 同時に冷えきった床板が胸から体温を奪い、寒さに身動ぎすれば、膝にはジャリっとしたコンクリートの感触が残った。

身を震わせながら待つお尻。 今日も振り下ろされる無慈悲な平手打ちは、あっという間に寒さなんて感じなくなるくらい、その表面を熱くした。

激しい痛みに反射的に仰け反ろうとして、しかし、背負ったままのランドセルの重さに抑えつけられ、元のように突っ伏す他にない。 逃げ出そうにも、両腿にはずり降ろされた下着が絡んでいて、足を振り上げて庇うことすらできなかった。

半ば息の詰まったような体勢のまま、平手打ちが何度も振り下ろされる。 漆喰の壁にバチンバチンと音が反響するのを聞きながら、涙に滲んだ視界の端で、それまで立ち尽くしていた祖母が申し訳なさげに顔を逸らすのが目に入った。

――みたいな。


まあ、実際にそれが「ネタ」になっていたら、色々と自己嫌悪して、お仕置きモノ自体を素直に楽しめなくなっていたかもしれないので、これで結果おーらいかもしれんのですが……。

というわけで、今日は珍しくリアルなお仕置きについて語ってみました。 今回に限っては、ただの妄想やフィクションでは無い(最後の例は除く)のですよ。

ヽ(´エ`)ノ…フフン

もしよろしければ、皆様のリアルお仕置き体験もコメント頂ければ嬉しいです。

拍手コメント返信用

拍手コメントへの返信です
・2017/02/27 Kさん
コメントいただいている事に気づくの遅れました、ごめんなさい。
厳しいお兄様なのですね!
とても、日本語お上手ですよ。見てくださって、ありがとうございます。
ヽ(*´ェ`*)ノ

・2017/02/20 悪い子さん
エラーがなおった!? というわけで、不具合記事を削除しました。
そして、お久しぶりです(´エ`)ノシ

テーブルの思い出

我が家の居間には、一枚板のローテーブルがあった。天板のフチの部分は切り出したままのゴツゴツした姿で、腹ばいになると下っ腹や腿に食い込んで辛かったのを覚えている。なんで、テーブルの上に伏せる必要があったかって?

それはもちろん、お尻を叩かれるためだ。

その日も私と弟は、二人してテーブルに腹ばいになっていた。母に下着まで全部取られた姿で、膝小僧に畳の跡をつけながら、じっとお尻ペンペンの執行を待っていた。時計の秒針と、二人の身じろぎに合わせてテーブルの足の軋む音だけが聞こえる静けさ。少しだけ怖くて。でも、本音を言えば退屈だと思っていた時間。

その時のお仕置きの理由はなんだったろうか。こうして、お尻を叩かれる機会は数え切れないほどあったので、一つ一つのディテールなんてとっくに忘れてしまったけれど、まあ、おそらくは喧嘩だろう。構って欲しいさかりの弟と、一人の時間が欲しかった頃の私は、しょっちゅう小突きあいをしていたのだ。

しばらくお尻を空気にさらし、下半身の心許なさにも慣れはじめた頃。背後で襖の開く音がして、得物を手に持った母が怖い顔を作って入ってくるのだ。背中越しに振り返って見ると、その時の母はスリッパを持っていたっけ。怖がるフリをしてごめんなさいと言いながら、ああ、今日はそんなに痛くなさそうだな、なんて見積もっていたりしたのは、今だから言えることだ。

一方、まだ小さかった弟は本当に怖かったらしく、それを見るなりわんわん泣き始めるのが、毎度のお決まりだった。徐々に大人に近づきはじめていた私にとっては、お尻ペンペンなんてそんなに痛い罰ではなかったけれど、ランドセルさえ持て余すような小柄な弟には、相当、厳しい罰に感じられていたらしい。芝居がかったお小言の後、パンパンと軽く叩かれただけで、弟は火の付いたように泣きわめいていたっけ。

そんな様子をどこか覚めた気分で観察しつつ、私はといえば、さも効いています、という演技をするのに腐心していた。もし、お説教もお尻ペンペンも効果が薄いとバレてしまったら、小遣い抜きや遊びに行くのを禁じられるという、より面倒臭い罰になってしまうかもしれなかったからだ。

何か言われるたびに、神妙な態度でごめんなさいと呟いてみたり、お尻を叩かれるたびに声を上げ、大げさにお尻を振って足をジタバタさせてみたり。実際に全く痛くないわけではないし、後で見たら赤くなっていたくらいには叩かれたけれど、さすがにもう、それで涙が溢れるようなことはなかったのだ。

お仕置きの理由によって加減は違ったが、大体、それぞれ三十発前後だったと思う。途中でお説教を交えながら五分か十分程度。二人のお尻を交互に打って、全体が赤くなってきたらおしまい、という感じ。

こうしたお尻叩きの後は、少しの間そのまま伏せていなければならない、反省の時間もあった。これも、ほんの十分か二十分足らずの間。やはり弟は、お説教の名残りと後を引くお尻の痛みに、いつまでもグズグズと鼻を鳴らしていたが、私はと言えば、ヒリつくお尻に不快感を感じながらも、初めと同様に、面倒臭いなぁ、とか思って過ごしていた。

その後、二人して改めて反省の旨を母に告げ、ようやく下着を返してもらえた時は、やっと終わった……という、一仕事終えたような独特の疲労感があったのを覚えている。ひょっとしたらそれが、効果があった、ということなのかもしれない。ともかく、私は実家のテーブルを見るたびに、今でもその時のことを思い出してしまうのだった。



※…お久しぶりです。あんまり更新しないのもなんなので、軽めのものを一つ…ヽ(´エ`)ノ

大晦日

気がつけば2016年も、あと数時間で終わろうとしている大晦日、みなさまいかがお過ごしでしょうか。 除夜の鐘に合わせてお尻を叩いて煩悩を払うとか、一年の汚れをお尻叩きで清算するとか、特に華のあるスパ的イベントとも無縁のまま、年を越そうとしているしおごはんです。

実は最近、意外な方にお読みいただいていることを知ってびっくりしているのですが、そういえば、このブログも開設してから、もう三年以上も経っているのですね。

いまだコレといった看板的なモノが不在だったり、そもそも作風が全く安定しなかったりするのですが、その時々に応じて皆様のスパ妄想にお使い頂ける、お仕置き創作のコンビニ的ブログになれたらいいなと考えつつ、来年も細々ながら活動を続けていきたいと思います。

スパンキングの只中にいる人、あるいは離れてゆく人、戻ってきた人。 厳しいお尻叩きがお好きな人、優しいお尻叩きがお好きな人。 リアルの人、創作の人。 それぞれの嗜好や温度に合わせ、来年も良きお仕置きライフが訪れますように。

それでは、みなさま良いお年を。

お仕置きにこめられたものについて語ってみる

お仕置きって良くも悪くも、より大きい相手からの干渉。ああしなさいこうしなさい、時には時代に合わない価値観を押し付けられ、痛みを持って無理矢理にでも従わさせられる。それでも同時に見つめられ、守られ、腕の内側にいる。

……というような事をTwitterで呟いたのですが、せっかくなのでもう少し語ってみようかな、と思います。

ありとあらゆるタイプのお仕置きに興奮してしまう私なのですが、とりわけ、理想的なお仕置きといえば、やはり躾のためのお仕置きです。より良い姿に近づいてほしい、それによって世間で生きていけるだけの能力、あるいは品や常識を身に着けてほしい、というような親の願いがこもったお仕置きです。

これはあくまでも理想であって、時には感情的に手をあげる場合もあるかもわかりませんし、その内容についても、どの程度が適切なのかはスパッと言い切れるものではないですが、それでも根底にはこうした思いがあってほしいというのが、個人的なお仕置き感です。

だからこそ「叩きたくて叩いているわけではない」ですとか、「叩く方の手も痛いんだ」という言葉の重さが出るのではないでしょうか。

家庭によって頻度や強度には差がつくもの。しかし、「いってぇ!」で済むような、気付きを与えるための微笑ましいお尻叩きにしても、涙があふれ出すほど厳しいお尻叩きにしても、外せないのがコレだと思うのですよ。


こうしたお仕置きの底にある理由。手の平に載せられた暗黙のメッセージに対しては、叩かれる方にしてみれば、いくつかの捉え方ができると思います。例えば、下記の二つ。

A…型にはまれという息苦しい束縛。
B…将来苦労させたくないという愛情。

痛みで屈服させて、当人の思考や行動を矯正するという点では同じなのですが、解釈次第でまるで違いますよね。そして、その解釈の仕方を決めるのは、お仕置きのメニューや厳しさではなくて、結局は、普段からしっかりと関係を作ることができているかどうかなのかな、と。

しかし、その普段の関係性を作るなかで、子供が不遜な態度をとるようなら、ちゃんとお仕置きしてあげるのも大事でしょうし――なんて考え始めると「卵が先か鶏が先か」なんてことになるので、成長の段階に合わせて二つを行き来しながらも、愛情だということが伝わるように、地道に信頼関係を作り上げていくしかないのかも……。

そんなことを、ふと考えたのでした。


まあ、そうは言いつつ、些細な落ち度を突いて徹底的に罰するような理不尽系お仕置きシチュエーションも、それなりに楽しめたりはするのですけどね…ヽ(´エ`)ノ

そして、最後になりますが、こちらはあくまでも特殊な趣味者によるフィクションの世界のお仕置きについて言及したものであって、実際の子供を対象とした育児論でもなんでもありませんので、悪しからず。

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