冬の玄関 - 桃尻文庫

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冬の玄関

冬休みの夕暮れ時、今日も帰宅を促す夕焼け小焼けのチャイムが街に響いた。

「やばい、帰らなきゃ!」

友達の家に集まり持ち寄った宿題を片付けた、その後のボードゲーム大会の最中。今の今まで一番はしゃいでいた少年の血の気がすっと引き、かと思えば、つんのめりそうな勢いで玄関へ向かっていくのを見て、仲間たちはやりかけのゲームのコマを片手に、半ば呆気にとられていた。

「あぁ、おう」
「じゃあな……」

別れの挨拶を背に受けて、少年が入り組んだ住宅街へ走り出る。アスファルトをパタパタ叩くスニーカーの靴底の音。激しい息遣いに合わせ、白い息が機関車のようにたなびいていった。

(急がなきゃ!!)

冬の向かい風に煽られながら、頬を赤くし必死に走る。彼がここまで急ぐ理由は、すでに家の門限を過ぎているからだった。

『危ないから、暗くなる前に帰ってきなさい』

冬休みに入る前、母親からたしかにそう言われ、門限を三十分ほど早められたはずだった。だが、遊びに夢中になった彼は、つい今までの習慣で、夕暮れのチャイムが鳴るまで没頭してしまったのである。

(どうしよう!)

自宅に向かって走りながら、罪悪感と焦りと不安が綯い交ぜになった、なんとも言えない思いがこみ上げてくる。実は今月に入ってからまだ一週間と経っていないにも関わらず、彼はすでに一度、門限を破ってしまっていたのだ。

『今度やったら、お仕置きだからね』

四日前、門限を遅れて玄関に飛び込んだ彼に、母親は一頻りお説教をしてからきっぱりと告げた。お仕置き、つまりは反省させるための体罰である。最近では珍しくなってはいるが、まだまだしている家はしているようだ。

(あっ……!!)

大通りの赤信号に引っかかって足を止め、呼吸を整えいまさら違和感に気がついた。頭部にあるべき感触がない。そう、帽子を友達の家に忘れてきたのだ。しまったと思った途端、彼は膝から崩れ落ちそうになった。

(どうしよう……どうしよう!!)

なぜここまで動揺しているかといえば、それだけお仕置きを恐れているからだ。どうやら彼の家は、今時ではかなり厳しい方針らしい。普段からガチガチに縛り付けるような雰囲気ではないものの、いざ悪い事をしたとなれば、きっちりきっぱり、お尻に返ってくるのであった。

『その靴べらを使って遅れたぶんだけ、たっぷりペンですよ!』

前回、母親に言われた言葉が頭の中で再生された。少しでも早く帰らなければ、門限の破りのお仕置きが重くなる。かといって、帽子をそのままにしておけば、今度は忘れ物のお仕置きまで追加されるに違いない。

行くべきか、戻るべきか。

慌てふためく今の少年には、冷静に量刑を比べるような事はとても出来なかった。

(ああ……)

どうしていいかわからずに立ち往生。こうしている間にも時間が過ぎ、赤だった信号が青に変わった。そして、まるでそれがスイッチだったかのように、じわり、涙が湧き出してLEDの青い光を滲ませる。

(もうだめだ……)

次いで、ひくひくと呼吸が乱れだし、鼻の奥がツーンとし、いよいよ涙のダムが決壊するかという寸前、しかし、背後からの心強い声に少年は我に返った。

「おーい!!」

振り向くと、先程まで一緒に遊んでいた仲間の一人が、自転車で追いかけてきていた。

「コレ、忘れてったでしょ」

帽子をぽんと渡されて、あほー、と手数料代わりの軽口を一つ。それだけで、彼はまるで命を助けられたような感じがした。じゃあねー、と別方向に去っていく友達の背中が、まるで救いの神のように見えたといっても、今の彼には決して大げさではなかった。

(よかった……)

再び赤に変わった信号の前、受け取った帽子をしっかり被り、ほうと安堵の息をつく。そして、気づいた。忘れ物はなんとかなっても、時間の問題は解決していないことを。

「ただいまッ!!」

玄関のドアを開けて飛び込むと、ほとんど同時に母からの詰問が始まった。玄関を上がってすぐ横の客間で待機していたのである。

「おうちに上げる前に、大事なお話があります」

どこに行ってたの? どうして遅れたの? 約束した時間を覚えてないの? それとも門限なんて破ってもいいと思っているの? こうした変哲ない淡々とした言葉が、逆に少年の罪悪感を的確に煽っていく。

「帽子、取りに戻って……いしかわくんが、途中で届けてくれて……」

しどろもどろになりながら必死で答えるうちに、さっき引っ込んだ涙が再び滲んできた。目の前にある、母親の冷たい表情がどんどん白く霞んでいく。

帽子を忘れて戻ったのね? いしかわくんが途中で届けてくれたのね? ただの説明の確認さえも、まるで一言一言責められているような気がし、少年は早々に涙声になっていた。

「悪い子は、どうなるんだっけ?」

事情聴取の締めとして、あえて抑揚のない声色で告げる母。大人から見れば、わかりやすすぎるほどの怒った演技だが、しかし、その作り上げた表情の裏に潜ませた我が子が無事に帰った安堵を、幼い彼に見破ることはできなかった。

「お仕置き、です……」

ごめんなさいは、もう言った。もうしませんも、もう言った。それでも母親の表情は変わらなくて、声も冷たいままだったから、彼にはこう言うしかないのだった。

「じゃあ、さっさと準備しなさい」

文化住宅の狭い玄関。コンクリートに石模様のタイルを張ったタタキの上で靴を脱ぎ、ズボンとパンツを下ろしていく。こうなることを見越していたのか、家の中は玄関に至るまでしっかり暖められてはいたが、外から帰ってきたばかりの手は冷たく悴んで、ベルトやホックを外すのに手間取った。

「できました……」

ズボンもパンツも綺麗に畳み、コートと一緒に靴箱の上に重ねておいたら準備完了だ。

「お母さん言ったよね。今度はこれでペンするって」

言いながら、脇にかけてあったプラスチック製の靴べらを手に取る母親。門限の遅れが三十八分だった事が改めて告げられると、少年は既に涙に濡れた顔を、さらにぐしゃりと歪ませた。

「三十八回ですよ」
「はいっ」

道具を使ったお尻叩きの痛みは知ってはいたが、今までに三十八回も叩かれたことはなかった。こんなの、本当に耐えられるんだろうか。怖気づいて固まりかけるが、それでもビュッと素振りをして見せられたら、どれだけ怖くても大人しく従うほかなかった。

「おねがいします……」

ドアの方へ向き直り、膝に手を当てたらお仕置きの挨拶である。お尻を叩かれるというのに、お願いしますというなんてなんだか奇妙な気もするが、この家族にとっては当たり前のことだった。母親もまた、幼い頃はこうしたお仕置きを数え切れないほど受けて育ったのだ。

「お尻でしっかり反省しなさいね」

ゆえに、お仕置きの口上や力加減も心得ていた。甘さを感じさせることなく、といって無駄に苦しめることもなく、反省させるために必要なだけの適切な量刑と態度を、しっかりと見当をつけて演じていた。

「いッ!」
「お尻を引くんじゃありません、元に戻しなさい!」

パチン、パチンと乾いた音が響く度に、ひょこんひょこんと上下左右に揺れるお尻。一発ごとにお尻の位置を直させるのも、変な所に当たらないようにと配慮している結果なのだが、当の少年にとっては自らの意思でお尻を曝す恐怖もまた、しっかりお仕置きになっていた。

「あと十よ」
「はいっ」

ひぐひぐと息を乱す少年の、やけっぱちのような返事。すっかり泣き濡れ、鼻水を啜るズルズルという音の合間に、打擲の音がテンポよく入る形になっている。厚手の玄関ドアを通しても、お仕置きのリズムはしっかりと外まで漏れており、くぐもりながらも道行く人々を振り向かせる程度には、独特の躾の雰囲気を保っていた。

「三十八、これで最後!」
「ぎゃっ……!」

バチンッ!とラストは強めにヒットして、その日のお尻叩きは終りを迎えた。歳頃、まだスベスベとした白い肌にクッキリ浮かびあがった真紅の痕は、とてもペンペンなんて可愛らしく称せるものでなく、きっちりと痛みをもって反省させる、お仕置きと呼ぶに相応しい様相だった。

「ありがとう、ございました……」

じんじんと疼くお尻を擦りながら、なんとか終わりの挨拶をする少年。後は正座が残っているが、とりあえず、もう痛いのは終わったはずだ。ふう、と小さくため息を吐き、その場で正座をしようとした少年に、しかし、母親から予想外の言葉が掛けられた。

「まちなさい。まだ、もう一つあるでしょ?」

ぽかんとする。

「間違っていること、あったでしょ?」

思わず涙も引っ込んで、痛さや怖さや悲しさよりも、純粋にわけがわからないという感情が湧いてくる。そんな様子の少年に、母親はこれまた冷静に詰問を再開した。

「遅くなったのは、帽子を取りに戻ったせいって言ったわね?」
「……はい」
「でも、すずきくんのお家は、ここから歩いて十分掛からないはずよね?」

遅れた時間は三十八分だった。歩いて十分弱の距離ならば、仮に帽子を取りに戻ったとしても、そんなに掛かるわけがない。しかも、途中までいしかわくんが届けてくれたうえに、息を切らして走って帰ってきたのだから、少なくともそれよりずっと短くなるはずだ。

「あ……あっ……ごめんなさい!」

ダメ出しの理由に気づいた少年の顔が青くなる。説明に不備があったのだ。門限を破った理由の説明として適切なのは、帽子を忘れたからではなくて、遊びに夢中になって時間を忘れたからなのだ。そのうえで、帽子を忘れてさらに遅れたと説明するべきだったのである。

「遊んでいて門限を破ったんじゃ怒られると思って、帽子を言い訳にしたんじゃない?」
「そう、です」

完全に見破られた、というより、そこまで追求されると思っていなかったのが、少年の本心であった。慌てふためいてしどろもどろになっただけで、嘘までついたという意識すら薄かった。

しかし、母親はあえてそこに拘った。なぜならば、お仕置きにはしっかりとした理由が必要で、それに対して適切な罰を与えることで、初めて意味があると思っていたからなのである。

「噓を吐いたら、どうなるの?」
「悪いお口を、お仕置きされます……」

しっかりと目線を合わされて問われたら、とても言い逃れなんて、できなかった。

バチンッ!

靴べらでお尻を打った時よりも、ずっと激しい音がして、視界に一瞬星が飛んだ。

「最後は三十八分の正座です。自分のどこがいけなかったのか、よく考えて過ごしなさい」
「はい……」

キッチンタイマーをセットして、母親がその場を離れていく。エプロン姿の背中を見送りながら、そっと袖口で涙を拭うと、打たれたばかりの頬にかすってジリジリと痛んだ。いまだに耳はキンキンしていて、腫れたお尻は寒さもわからないくらいに疼いている。

(かたい)

膝には石模様のタイルの硬質な感触と、靴底から落ちた砂のジャリッとした違和感がある。これが時間が経つにつれ、徐々に痛みを増していくのだろう。小さく身を捩りつつ、まだまだ涙で霞んでいる視界には、白熱灯の玄関照明がキラキラと眩しく映っていた。

(はあ……)

改めて、ため息一つ。背後にわずかな冬の隙間風を感じながらも、隣室からの暖房の熱気で逆上せそうなほど暖かい玄関。お仕置きに疲れ、泣き疲れ、ぼんやりとした頭で過ごす三十八分間は、あっという間のようでいて、長く長く、少年の記憶に残ったという。


2018-01-17 正座 

……


お久しぶりかつ、やや厳しめ?
次回は甘めなペンペンを書きたいなと思いつつ、今回はこの辺でヽ(´エ`)ノ
感想いただけましたらありがたく思い候。

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コメント

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Re: お久しぶりです

お久しぶりです!ご感想ありがとうございます。
誰しもきっとなにかしらの譲れない部分があって、それがこのお母さんの場合は、
悪いことに対する釈明の正確さなんだろうな、と思いつつ書いてみました。
そうした親の拘りを幼い内から背負うのは、少し重荷なのかもしれませんが、
家族ってそんな時もありますよね、良いことでも悪いことでも、時に自然に無自覚に。
ありがとうございます、どんな絵柄が良いのだろうと悩みつつ、
たまにはと思って挿絵を付けてみました。

お母さんって本当に理不尽

 こんばんは、しおごはんさんの小説って本当に素敵です。

 コメタイに書いたけど、お母さんは小さな国の独裁者ですね、立法府、判事、裁判長、懲罰執行人兼務、逆らったらどうなることか、しかも全てがわが子のため、容赦ありませんね

 この子をさらに責めるなら、お仕置きを減らしたいがためにお家に走って帰るのは如何なものか、急いで帰るは事故の元、急いだおかげで数発減刑され(誠意を示して大幅減刑も?)たわけだけど、事故にあうリスクを高めてしまっていますよね(交通心理学でいうリスクテイキング)、ものすごく低確率ですが死ぬかもしれない、交通ルールを守ろうは幼稚園で習うこと(命を守るための約束)→お仕置き数ランク増しの悪事と思います

Re: お母さんって本当に理不尽

こんばんはです。ありがとうございます!

閉鎖された家の中を自由にできる立場ですものね。仰る通り、まさに小さな国のよう。
しかも、子供は自由に移動することができず、時に重くて痛い愛情をお尻で受けねばならぬという。

確かに慌てて帰ってくるのは危ないですね。特に子供のうちは注意力も甘いですし。
事故に合わずとも誰かにぶつかったら、あるいは転んで怪我したら…。
そう考えると、なおさら時間に余裕を持つように、厳しくペンペンしても良かったのかもですね。

現実の規制と同じように、どんどん強化されていくお仕置きルール。
厳しい家の子は本当にうらやま…もとい、大変なのですねヽ(´エ`)ノ
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