桃尻文庫

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二つのパドル

十歳の誕生日、私はお祝いの席でお母様からプレゼントをいただいた。一抱えはある大きな箱に入っていたのは、大きさの違う二つの羽子板だった。

一つは卓球のラケットくらいの小振りな、それでも幾分か見た目よりはずっしりとした硬い木材でできていて、その表面は滑らかに磨かれて朱に塗られていた。そしてもう一つは、それより二回り大きい長さ五〇センチメートルほどのもので、同じように鮮やかな朱色に濡れたような艶を湛えていた。

私はその美しさに目を奪われ、早く使ってみたくてたまらなくなった。手に取って照明の光にかざしてみると、朱の表面はキラキラと輝いて、いっそう鮮やかに映えた。

「それはね、羽子板ではないのよ」

羽はないのですか?なぜ板の大きさが違うのですか?そう無邪気に問う私を制しながら、対面の席のお母様はこう仰った。

「それはね、パドルというの。悪い子のお尻をしっかりと痛くして、良い子に育てるためのお仕置き道具なのよ」

私は、悪い子でしたでしょうか?綺麗なオモチャを与えられたつもりだったのに、まさかお仕置きのための道具だったなんて。楽しい気分が一変して、私は悲しいような裏切られたような気持ちさえ持ってしまった。

「あなたは良い子よ。それでも、ほんのたまに魔がさしてしまう事もあるでしょう。そういう時のための、お守りのようなものだと思えばいいわ。いつまでも手の平では、お尻が慣れてしまいますからね」

たしかに、今までにもお母様に躾けていただいた事は数知れない。口の利き方から日常の所作、ちょっとした不作法。日々、私が粗相をするたびに、お母様の手をわずらわせているのは紛れも無い事実だった。だが、それでもその時の私は、よほどのショックだったのか、つい拗ねたような態度を取ってしまっていた。

「私には、ほかに欲しいものがありました……」

せっかくのお祝いの日に手にするのが、自分のお尻を痛めるための道具。箱を開けた時に目に入った、燦めくような色合い。羽子板かなにかだと思って手に取った時のしっとりとした手触り。それらに心をときめかせた分だけ、その実際の用途との落差に、まだ小さかった私はすっかり打ちのめされてしまったのだ。

「まあ、それは残念だったわね」

しかし、お母様はこういう時の不平こそお許しにはならなかった。好意でいただいたものを、気に食わないからといって無下にする態度。理由はどうあれ、それはわがままな姿で、見過ごしてはならない不作法だったのである。

「さっそく、出番があったわね。その小さい方を持って、母様のお膝に上がりなさい」

ハッとしながらも、私は震える声で“はい”と答え、ひと抱えある箱から小振りの方のパドルを手に取って、お母様の膝に向かった。これからお尻を躾けられるのに使われると思うと、手の中のパドルがずっしりと重みを増したような気がした。

「お尻の色が、このパドルと同じようになるまで叩いてあげれば、しっかりと反省できるんですって」

お母様は膝の上で露わになった私のお尻と、手元のパドルの表面に交互に指を這わせ、お仕置きの時だけに特有の脅かすような諭すような、優しくも厳しくもある声音で仰った。

「これからはこうして躾けてあげますから、今日はよく味わっておきなさい」

ぴたぴたとお尻に軽くあてがわれたパドルの感触は、お母様の手の平とはずいぶん違って冷たく硬いものだった。すっとパドルが離れていっても、その違和感は残り続け、私はその心細さから早々に身を縮めてしまっていた。今までのお仕置きとは、本当に違うのだ。

「いきますよ」

お母様の静かな宣告とともに、最初の一打が放たれた。バチンと湿ったような音がして、私のお尻はすぐさま火がついたように熱くなった。二打、三打、ゆっくりと間を開けながら、お尻の左右を交互に打たれる。私は思わず声を漏らしそうになったが、すんでのところで悲鳴を飲み込むことができた。

「三つや四つじゃ、だめね」

お尻を打つ手をお止めになって、色味の違いを比べるように、またお尻の表面に指を這わせるお母様。叩かれて敏感になった私のお尻は、本来こそばゆい程度の力加減にも身を震わすような刺激を感じとった。ビリビリと痺れるお尻に、私は思わず、うっ、と声にならない呻きを漏らしてしまった。後悔した時にはすでに遅い。

「あらあら、大げさな子だこと。でも、ちょうどいいわね、もう一つの方も試してみましょう」

私はお母様の言葉に心臓を揺さぶられながらも、膝から降りて自分の席にパドルを取りに戻った。たった今、鮮烈な痛みをお尻に与えた小さい方のパドルを戻し、さらに大きく重いパドルを手に取った。

「どうしたの、早く持っていらっしゃい」

印象というのは簡単に変わるもので、箱を開けて一目見てあれほどわくわくした朱色の鮮やかさも、今では手から伝わってくるずっしりとした感触とともに、まるで禍々しい色味に見えていた。

「これを使う時はお膝の上じゃなくて、こうなさい」

お母様に手を導かれ、テーブルの縁を掴まされる。そのまま腰をぐっと引かれ、私は俯いてお尻を突き出す姿勢になった。今までにしたことがない格好だから恥ずかしくはあったけれど、それ以上にこの時は、大きなパドルへの恐怖が勝っていた。

「良い子ね。両方のお尻をいっぺんに打てるから、あと五つで許してあげます」

わかりましたとなんとか答え、テーブルの縁を握る指に力を込める。きっと、とても痛いに違いないから、私はテーブルクロスに皺がよるほど強く掴んで、さらに息を止めて最初の一打に備えた。

「ちゃんと我慢なさいね」

念を押すお母様の言葉に、目を瞑って答える。それからほんの数秒の間をおいて、お尻に走ったのは信じ難い痛みだった。なんとか声は抑えられたものの、膝がガクガクして崩れ落ちそうになり、テーブルにしがみつくような格好になってしまった。

「あら、そんなに効いたかしら。初めてだから、今のは大目に見てあげましょう」

しっかりとお尻を向けなおしなさいというお母様の言葉に、掠れるような声ではいと返事をする。とっくに涙は溢れていて、大きなパドルの圧力には息が詰まりそうだった。おそらくすでに真っ赤に腫れているであろうお尻を、なんとか上げてお母様に差し出すと、これからここを打ちますよとばかりに、硬いパドルの表面が、またお尻をぴたぴたと撫でていった。

「さあ、続きをしますよ」

二打、三打、四打、重ねるごとにお尻の痛みは増していき、叩かれたという感触が、突き出されたお尻を通して背骨の方まで伝わってくるような錯覚を覚えた。その時、私は声を出すまいと片手をテーブルの縁から離して、必死で袖を噛んで堪えていた。これもまた、はしたなく声を上げるのと変わらない不作法さかもしれなかったが、そう考えるような余裕はどこにも無かったのである。ふうふうと肩で息をしながら、ついに五打目を乗り切ってから、ようやく私は自分の醜態に気づいたのだった。

「次からは、それもお仕置きにしますよ」

お母様に念を押され、私は改めて自分の間違いをお詫びして、躾けてくださったお礼を言った。これでやっと、やっと終わった。一気に肩の力が抜ける。

「それは、これを箱に戻してからになさい」

お仕置きが終わり胸に飛びつこうとした私を制し、お母様は仰った。言われるがままにパドルを受け取った私は、じりじりと疼くお尻の違和感を味わいながら席に戻り、今の自分のお尻と同じ色をしているであろう朱色を、そっと箱に納めた。

「さあ、いらっしゃい」

あらためて、広げられた腕の中へ飛び込むまでの数歩。これからは、お仕置きの後に真っ先に味わうのが母の胸の温もりではなく、このパドルの硬い手触りになってしまったのだという現実に、私の目からはもう一度、熱い涙があふれたのだった。






というわけで、おそらく今年最後の更新は、ちょっと厳し目な母子モノでした。2018年もありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。それではみなさま、よいお年を!

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