- 桃尻文庫

お仕置きのある世界03 町中のお尻出し(母/娘)

この世界では時折、外でお尻を出している子がいる。

もちろん車の来ない脇道や広場などに限られるが、しっかりと下着を下ろし、ある子は膝に手をつき、ある子は足首を掴み、小さなお尻を突き出している。そして、その傍らには保護者が付きそい、じっと見守っているのである。

察しの良い人はお解りになるだろう、これはどこでもすぐにお尻を出せるようにするための訓練なのだ。私も最初に目にした時は面食らったが、この世界では、お仕置きをスムーズに執行することが、それだけ重要視されているようなのである。

だから幼稚園で、学校で、こうして家族と出かけている時であっても、幼い頃から従順にお仕置きを受けられるように訓練を欠かさない、というわけだ。

実は私もこの異世界に来たばかりの頃、――いや、来たという表現は、もしかしたら正しくないかもしれない、ともかくある日を境にして、日常に急にお仕置きがあふれかえったばかりの頃に――母親から毎日のようにやらされたのだ。

「……お尻!」

ある日のお仕置きの時、素直にお尻を出せなかったのが、きっかけとなった。

所構わず、何の前触れもなく発せられる、お尻という言葉。最初はわけもわからず戸惑うばかりだったが、それが許されるような世界でないことは、これまでに語ってきた通りである。

どうやらこの世界では、お仕置きを言い渡された時にすぐお尻を出せないのは、非常に恥ずかしく、あってはいけない事らしかった。

「まさかこの歳になって、またお尻の出し方から教えなきゃならなくなるなんてね」

自分の置かれた状況も分からない私。戸惑いに満ちた振る舞いは反抗的と捉えられ、たっぷりとお仕置きを追加された後、明日からお尻の訓練をしてあげます、と告げられたのだった。

……

「お尻!」

(なんでお尻? なんでこんなところで!?)

やにわに前を歩く母が振り返り、叱る時の特有の視線と声の調子でこう言われた時は、信じられない思いだった。

夕飯の買い物について行った時のことだ。理由もわからず、急に母にお尻と言われ戸惑っていたら、有無を言わさず下着を引きずり降ろされたのだ。

「塀に手をつきなさい!」

そして、その歳で恥ずかしい、素直じゃない子はどうなるかたっぷり教えてあげます、なんて決まり文句と共に、剥き出しのお尻に手の平が次々に降ってきたのである。

ピシャリ、ピシャリ、鮮烈な痛みの中、手をついたブロック塀のザラザラした感触と、周囲の家々に反響した平手打ちの音が驚くほど大きかったのをよく覚えている。

「お姉ちゃんなのに、まだ自分でお尻出せないんだ」

通りかかった親子連れにクスクス笑われたのは、二回目の時だ。ある時などは駅前の広場やスーパーマーケットの前で言われ、どうしても下着を下ろせずにお仕置きを貰った事もあった。

「お仕置きの作法も守れない子は、みんなに真っ赤なお尻を見てもらいなさい!」

人通りの激しい広場では、そんな母の言葉と同時に周りの視線が集まった。あるいは咎めるように、あるいは窘めるように、道行く大人達は振る舞うのである。

しばらくの間、私は大勢の人に見られながら、普段から薄っすら赤いお尻を、さらに赤くされ続けていた。

……

お尻、お尻、お尻。今日もまた、お尻。

だが、そんな訓練が幾日か続いた日、私はついに気がついたのだ。自分からすぐにお尻を出した時には、誰もが私を目にも留めずに素通りしていく事実に。

(……そうか! こっちが"あたりまえ"だったんだ!)

そう、"お尻を出すのは恥ずかしい"という私の中の常識と、"お尻を出せないのは恥ずかしい"というこの世界の常識の逆転に、やっと気がついたのである。

……

「お尻!」

お仕置きを受ける度に、そんな訓練や気付きが繰り返され、今では私もこうしてお尻と言われれば、どこでもすぐに下着を下ろして、お尻叩きのポーズを取ることができるようにまでなってしまった。

理由を聞く前に、あるいは恥ずかしさや恐怖を感じる前に、まずはお尻を出せるようにする。どうやら、これが一番肝心な事であるらしかったのである。

私は学んだ。お仕置きに対する疑問や不安は、素直にお尻を向けて大人を納得させてから、聞くなり考えるなりすればいいのだ。多少、理不尽であっても、結果的にそれがお尻の被害を減らす事に繋がるのだ、と。

「よくできました。お尻しまっていいわよ」

スーパーマーケットの棚の間。足首まで下着を下ろし、ピンと伸ばした膝に両手を添えた姿を見て納得した母は、ワシワシと私の頭を撫でると、そう言ってお菓子を一つ買い与えてくれたのだった。


おしまい